ヤンヤンつけボーの粉は残りがち

ゲームやYouTube、漫画・特撮が好きな人のブログ。ゲームの話題がほとんどです。

もうすぐ100記事目なので、ブログを書いて気づいた「個性」と「読者」のことをまとめてみる

もうすぐこのブログも100記事を超える。約3年で100記事というのは大した量でもないと思うが、何でもすぐに投げ出す私としては珍しく立派に続いた功績だと思っている。そこで今回は普段と趣向を変え、私がブログや動画制作を通して気づいたことを綴っていきたい。

 

というのも、私は何かを始めるまでに時間がかかってしまう人間である。何故なら「考えすぎ人間」だからだ。創作物や作業に対して「自分の作る物に意味、オリジナリティはあるのか」、「それは誰かの類似品ではないか」などを一人自問して二の足を踏むことが多い。

 

そんな私でも、惰性混じりでここまでブログを続けることが出来た。それは何故かを自問してみると、今までよりも適当なペース、思いつきの内容でも良いのだという考え方と、「痕跡のない読者」の存在が大きくあったように感じる。この記事は殆ど私自身への自戒ではあるが、私と似た「考えすぎ人間」が一歩踏み出すための何か参考になればと思う。

 

 

 

「個性的」にこだわる必要はないということ

写真でわかるパッチワーク トラディショナルパターンの縫い方レッスン (レディブティックシリーズno.8075)

 

飽き性の私でもブログを書き続けられている理由は何かを考えると、「自分の作品に価値を求めない」ことと「オリジナルにこだわらない」ということなのではないかと思う。無論、他人の作ったものを丸々パクって良いという意味ではない。

 

こんなことを書くと怒られそうだが、実のところ「何かを作ること」なんて特段凄いことではない。特にブログなんてものは、文字さえ書ければ誰でも軽率に作ることが出来る。そんな気軽さが良い点なのだ。わざわざ「個性的」なものを作ろうとして、躊躇する必要なんかない。

 

そもそも、人間の価値観というものは「パッチワーク」のようなものだと常々考えている。人は自分の内的・外的にある情報を無意識・意識的に取捨選択して自分だけの価値観を作り出しているのではないか。創作も同様で、先人たちの作品に自身の解釈や経験を繋ぎ合わせたものが作品になるのだと感じる。

 

この現代の世の中において、「完全なオリジナル」なんて恐らくは存在しない。ありとあらゆるテーマが語られ、悉く掘り下げられている。だから、何かを作ったり書いたりするときに「個性的」かどうかを無理に考えなくても良いのだ。まずは、自分が書きたいものを書き、作りたいものを自由に作ることが大事なんだと思う。実際、このブログもその程度の緩さで続いている。

 

 

つまり、何かを初める前に「個性がないから駄目」や「誰かがもうやっているから」という理由で作ることを諦めて欲しくないのだ。勝手気ままに、思い付いたことを思い付いたままに表現したものが「個性的な作品」になっていくのではないかと思っている。

 

 

「痕跡のない読者がいるかもしれない」ということ

美しい痕跡 手書きへの讃歌

 

もう一つ、ブログ等の活動を始めて気づいたことがある。それはコメントや反応などを残さない「痕跡のない読者」は思った以上に多い、ということだ。実際にアクセス情報などを眺めていると、表では反応が無いがアクセス自体は多い場合もある。

 

こうした活動を人に公開している以上は、「人からコメントを貰いたい」、「誰かに見てもらいたい」と思うものである。やはり反応が全く見えないとモチベーションは下がってしまうし、寂しくもある。その結果、 誰にも見られていないから辞めてしまおうとも思うかもしれない。しかし、痕跡のない読者や視聴者がどこかに隠れているかもしれないのだ。

 

もし、この記事を読んでいるあなたがコメントを残さずに去ろうとしているのならば、あなたも「痕跡のない読者」の一人である。これこそが、あなたの知らないところで作品を見てくれている人がいるかもしれないという証明である。

 

コメント等の痕跡を残す行為は、思った以上に心理的なハードルが高いものだ。私も人の作品にコメントを書いたり、いいねや高評価をつける際は緊張してしまう。相当に気に入った内容でもない限り、他人のブログや作品にわざわざコメント書くなんてエネルギーを使うことを普通はしないのだ。だからこそ、コメント等の痕跡を残して下さることは凄いことであり、非常に有り難いことだと感じる。本当にありがとうございます。

 

 

 最後に

長々とブログや創作活動の中で気づいたことを語ってきたが、私が語った内容の上位互換は無論沢山ある。同じような内容を私も憧れている偉大なる先人たちが、もっとわかりやすくまとめていることだろうそれでも、私だけの考え方で書かれた、私だけのブログはここにしか無い。言葉を紡いだり物を作ることなんて、そんな適当な理由で良いのだ。そんな理由だから良いのだ。

 

こんな場末のブログの一記事なんて、電子の海底にゆっくりと沈んでいく情報に過ぎない。だからせめて、この記事を読んでくれた顔も知らないあなたには伝えたい。

 

わざわざこんなブログ記事を読んで下さって本当にありがとうございます。ここまで記事を読んで下さったあなたは、失礼ながら相当に酔狂な方だと思います。もしあなたが「個性」や「考えすぎる」ということで悩まれているのなら、どうかあなただけの思考を大切にして下さい。「あなたが考えたこと」こそが、あなただけの素晴らしい個性です。改めまして、読んで下さったことに心からの感謝を申し上げます。

 

……偶然ついでにこの記事や私のTwitterにコメントを残してもらえれば、私の記憶の片隅に大切に保管しておくと思いますので、何卒よろしくお願いします。

 

という、若干厚かましいメッセージとお願いで本記事は締めさせて頂く。