私はゲームと共に育ってきたと自負している。幼い頃には、母や兄、姉などがゲームをしていたからだ。それも、様々なジャンルのゲームを見せられてきた。
……この男は急に何を語り出したんだ、と思った皆さんすみません。思いつきで今回から不定期連載をしていこうかと思いキーボードを叩いております。
その名も「ゲームと私」です。
このブログの主 (関係ないですけど、うp主って最近聞かないですよね) ことヤンヤンが、人生の中で大きく影響を受けたゲーム作品を取り上げていこうかと思います。
作品が尽きたら終わります。
皆さんのゲームの思い出などがありましたら、是非教えて下さい。参考にさせて頂きます。
ゲームを「プレイする」こと、「観ている」こと
話を戻そう。ゲームと共に育った私は、無事ゲーム好きの少年として育った。ゲームをすることも好きなのだが、特に好きだったのはゲームを「観ている」ことであった。
私の最も古い記憶では、ゲームボーイ (以下、GBとする) 版の『テトリス』を母親がプレイしているのを観ていた。また、兄や親戚が集まったときには、『バイオハザード』を攻略する様を観ていたことも鮮明に覚えている。親戚の人は、作中に出てくるヒントを何故か割り箸の袋に書いていた。
※幼い頃の私は、ゾンビと戦う兄の隣で「こいちゅむかつくね。○したくなっちゃうね」と話していたという。なんとバイオレンスな奴だろう。
私にとって、ゲームを「プレイする」ことと、「観ている」ことは同じくらい楽しいことだったのだ。また、ゲームの新作をチェックすることも好きだった。兄が購読していた『ファミ通』を毎週欠かさずチェックし、新作ゲーム情報を常に仕入れるようにしていた。別に意識して行っていたのではなく、純粋にどんなゲームソフトが発売されるのか、あの名作の続編は出るのか等を考えることが楽しみだったからである。
※当時、兄がいつも買っていたファミ通が愛読書であった。ゲームの情報が詰まっているファミ通とトイザらスのチラシを読んでいる間が一番ワクワクしていた。
今考えると、私の「ゲーム好き」は、コレクター的側面が強いのかもしれない。しかし、コレクターほど集めているわけでも無いので色々と半端者なのだ。
「全然クリアしてないじゃん」の呪い
そんな私が小学6年生になった後に事は起こった。帰りの会を終え、放課後の下駄箱でゲームの話をしながら帰る準備をしていた私は、友人からある言葉をかけられた。その言葉が、私を十数年間私を苦しめる呪いとなっている。
「お前ってゲームについて話すけど、全然クリアしてないじゃん。情報ばっかり」
衝撃だった。正直、正確な表現は覚えていないが内容は間違えていないはずだ。
多分、相手の子は特に悪意は無かったのだろうし、思ったことを正直話しただけなのだろう。実際、今でも私は未クリアで積んでいるゲームが多い。中学時代の友人からは、よく「積みゲーのプロ」と呼ばれたりもする人間だ。
でも、当時小学生の私はとてもショックだった。自分の趣味を否定された気分になったのだ。まるで、ゲームについて知っていても、クリアしていない、または、やっていない人間は「ゲーム好き」を自称してはいけないと言われたように感じてしまったのだ。
「ゲーマー」の定義を考えてみる
そもそも、「ゲーム好き」とは何なのか? よく使用される「ゲーマー」という言葉の定義から考えてみよう。
ゲーマー(英: Gamer)とは、コンピュータゲームを趣味とする愛好家の呼称。職業としてのプロゲーマーも存在する(eスポーツ)。
ゲーマー - Wikipedia より引用
Wikipedia先生にはこのような表現が。さらに、こうも記されている。
古くコンピュータゲームが高価で多大な出費を強いられていた時代には、これで遊ぶ者は様々な系統のマニアの1ジャンルとして見られることが多く、「ゲーマー」という呼称もこのマニアの延長で用いられていた。
ゲーマー - Wikipedia より引用
つまるところ、ゲームを好き好む人はそれだけで「ゲーマー」であると考えられるのだろうか。一応、他の定義も確認してみる。
ゲーマーとはゲーム愛好家のこと。
驚くほどにシンプル。好きならばゲーマーということか。
ゲーマー(gamer)とは、英単語としても比較的近代に使われ始めた単語であり「テーブルゲームで遊ぶ人」「ロールプレイングゲームで遊ぶ人(日本で言うTRPG)」「コンピューターゲームで遊ぶ人」などを指す場合が多い。(全てではない)
ゲーマーとは (ゲーマーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 より引用
なるほど。やはりゲームを好き好んで遊んでいる人なのか。 ならば、ゲームが好きであれば「ゲーマー」と名乗って良いのだろう。そうだ、そういうことにしておこう。
極めることが「オタク」の条件なのか?
ときどき、こんなことも考える。「『ゲーム好き』を名乗りたいけど、世の中には自分よりも幅広くゲームが好きな人もいれば、自分なんてゲームあんまり出来てないし……」という面倒くさい面が顔を出してしまうことも多くある。
しかしながら、趣味を極めることだけが「オタク」なのだろうか、と自問してしまうのだ。意外なことに、「オタク」という画一の定義は為されていないという話を聞いたことがある。ソースの論文などは (引っ張ってくると長くなって面倒なので) 各自で調べて頂きたいのだが、広くは「愛好家」と言う面で用いられることが多いそうだ。
そこから考えると、「オタク」であることに条件などはないのだ。スポーツ好きは「スポーツオタク」だし、小説好きは「小説オタク」、筋トレ好きも「筋トレオタク」なわけである。「趣味がある」ということは、つまるところみんな「オタク」とも言えるのではないだろうか。
人類皆オタク!!
……面倒くさい奴がクドクドと言い訳を語ってきたが、好きなものを好きだと語ることは自由なのだろう。
「好き」ということは何なのか
さて、長くなったが、そんな私がある程度「ゲーム好き」であることを大手を振って語っても良いのかもしれない、と感じたのは、大学時代の友人の何気ない一言からである。
それは、「〇〇 (本名) ってゲーム好きだよね」という言葉であった。
そんな普通の言葉で? と思われる方も多いかもしれない。しかし、私はその一言で、「自分はそれなりに一生懸命やってきた趣味があったのか」と再確認することが出来たのだ。上述した「クリアしてないじゃん」という言葉から、私はいつも「一生懸命やっている趣味はない」と知らずのうちに思い込んでしまっていた。
「観ている」ことと、「プレイする」ことを別個で捉えていたからだ。しかしながら、「好き」であるということは、それを「極める」ことだけではなく、「していて楽しい」と感じることが大切だと気づけた気がするのだ。
それでも、今も「好きって何だろう」「趣味って何だろう」と考えてしまうこともある。そんなときにはこう考えると良いのかもしれない。
「好きだから好き、やりたいんだからやるんだ!」
ということを。結局の所、好きなことにそんなに理由はないし、決まった形なんて無いのだ。なので、これから私も好きなことを「にわか」なりに、好きに書き散らしていこうと思います。そして、皆さんの書き散らす「好き」も沢山インプットしていきたいなと思います。
つまり、「好き」を大々的に出していこうよ! という自戒のような内容でした。みんなも好きなものを何でも語っていこうよ!! おしまい!